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2026年2月24日火曜日

『7万光年の帰り道:「ヴォイジャー」の帰還数式』

  その日、我が家のリビングで戦慄が走った。といっても、我が家の家庭問題ではない。StarTrek Voyagerについての10歳になる息子カミーユとの会話だ。

 実は上の娘のカイラは、スタートレックが大好きで、NetFlexなどが無い時代に毎朝6時には起きて、ピッカード船長の新スタートレックやジェインウェイ艦長のボイジャーを一生懸命に見ていたものだった。

 下のカミーユは、YouTubeは大好きなのだが、スタートレックやスターウォーズなどのサイエンスフィクションもの、あるいはファンタジーものに興味を持つことなく過ごしてきた。

 数学や科学に興味を持ってもらいたい私としては、一緒にスタートレックを鑑賞することで、未来の科学技術に関して興味を持ってもらいたいと思った訳である。

 「地球まで、あと7万光年。最高速度を出しても……75年はかかるわ😓」画面の中では、宇宙船ヴォイジャーのジェインウェイ艦長が、絶望的な宣言をしていた。未知の宇宙域に放り出され、故郷への道筋を失ったクルーたち。SF史に残る、あまりに有名な「気の遠くなるような漂流」の始まりだ。

 私はソファに深く腰掛け、コーヒーを片手にその悲壮感に浸っていた。もちろん、随分前に視聴していたのだが、NetFlexでオンデマンドで見られるようになって、あらためて絶望的な状況を観測するとまさに絶望的な状況である。
(NetFlexでの配信は2026年1月で終了しています。😥)

 「これ、パパが若い頃に夢中になった番組なんだよ。現実には存在しないワープ技術を使った地球への帰還のストーリーで、75年もの期間をかけて帰るなんて、最後のフロンティアと言っていたスタートレック宇宙冒険記というよりは、スタートレック宇宙漂流記だよね。」

 隣に座っている10歳の息子に語りかける。だが、彼はテレビ画面なんてこれっぽっちも見ていなかった。膝の上に乗せたiPadを、慣れた手つきでフリックしている。

 「パパ、まだそんな古い物理学で悩んでるの? 効率が悪いよ。」

 息子がニコニコしながらiPadとApple Penで何やら作業している。使っているアプリはCalculaterだ。そして、その口調は、まるで『ヤング・シェルドン』(NetFlix配信中)の主人公が大人たちの無知を嘆くときのような、妙に大人びた、それでいて子供らしい残酷なまでの純粋さと自信に満ちていた。

 「いや、古いって……アインシュタインが泣くぞ。本当は75年じゃあなくて、7万光年だよ? 光の速さでも7万年かかるんだ。」

 カミーユは言う、「それは『観測者』が止まっているからでしょ。最新の量子コンピュータと量子ナノマシンを使えば、宇宙のエントロピーを局所的に制御できるんだよ。そうすれば、75年どころか、晩ごはんの時間までに帰ってこれるよ。😁」

 息子は事も無げにそう言うと、iPadの画面を私の方へスッと差し出した。

 何を言っているんだろう、この子は?と、私は頭の上にクエッションマークをいっぱいのせながら、冗談のつもりで笑いながら、その画面を覗き込んだ。

 「ハハハ、どれどれ。パパが添削してあげ……😨」言葉が、喉の奥で凍りついた。

 そこにあったのは、子供の落書きでも、SF映画の適当なプロップ(小道具)でもなかった。

数式が、まるで生き物のように整然と並んでいた。ギリシャ文字と物理定数が、見たこともないロジックで組み合わされている。私にはその細部までは理解できない。けれど、その数式が放つ「圧倒的な正解感」だけは、肌に刺さるように伝わってきた。しかも美しい。まるで楽譜のようであった。

 「これ……どこで見つけたんだ? 学校で習うはずないし……」

 息子のカミーユはその質問に嬉しそうに、目をキラキラさせて話し出した。

 「違うよ。物理法則を変えたんだ。スタートレックやスターウォーズって、『ワープ』を使うでしょう。それは空間の圧縮とかいう魔法だよね。でも、このボイジャーを75万光年まで飛ばしたケアテイカーって人は、別の方法を使ったんだよ。その方法は『変位波』とスタートレックでは呼ばれているんだけれど、量子もつれを利用した『空間の相転移』で置き換えたんだよ。」

 「宇宙の特定地点に存在する量子ノードに接続してトランス・クォンタム・トンネリングによって空間を折り畳むんだ。この式の左辺、Eq は量子跳躍エネルギーを示していて、空間にどれだけ穴を開ければいいかを示す量子エネルギーの閾値なんだよ。h はプランク定数、Gは重力定数、この2つの定数群の意味は、極微のナノマシンを使って巨大な宇宙空間を操作するって意味だよ。」

 「ちょっと、ゲーム攻略法っぽくなるんだけれど... ΔΦ は空間の位相差で現在の空間と目標となる地点(地球)の位相のズレを入力する。σ は量子ナノマシンの安定係数だよ。ナノマシンの性能が上がれば、必要なエネルギー量は少なくて済むでしょ。積分パートの L は、7万光年と言う物理的な距離で、ψ(x)は量子力学の波動定数、広大な宇宙に散らばる無限の可能性を、この積分によって地球という一点に強制的に収束させる計算なんだ。」

 確かに、この子は幼稚園児の時に一次関数を20分程度教えて、冗談混じりにすぐその後で簡単な問題を出したら、スラスラ解いてしまうような子だった。何人かの先生方からギフテッドとは呼ばれていたが、日本にはそうした子らを受け入れる教育機関が無いのだ。今、10歳、だが積分まで理解できているとは思えなかった。思わず上擦った声で訊いてしまった。

 「積分なんて、習ってないだろ。どうやって理解したの?...」

 「もちろん、YouTubeで学んだよ!ハハハ😄」とカミーユ。

 「でも、この数式を制御するには量子コンピューターが必要になる。パパの時代はスーパーコンピューターだったでしょ、例えば『富岳』とか。でも、この計算を『富岳』にさせると計算が終わるまでに何兆年の何兆倍という時間がかかってしまうんだ。量子コンピューターを使うと、数秒でこれを計算することが可能だよ。パパたち世代が『不可能だ』って言ってることの大半は、ただの計算ミスなんだって!今ある量子コンピューターの性能で、現在の最高性能のスパコンが10の25乗年かかる計算を僅か5分で完了させることができるんだ。」

 「つまりね、パパ。富岳は世界一早いソロバンだよね。でも、量子コンピューターは計算しているんじゃない、最初から答えのページを観測しているんだよ。」

 テレビの中では、ジェインウェイ艦長が決意を込めて宇宙船を前進させている。

 けれど、私の手元にあるiPadには、その「75年の旅」を瞬時に終える、人類未到達の回答が静かに表示されていた。最新の量子演算機と目に見えないほど自己増殖型量子ナノマシン。私達が「空想」だと思っていた遠い未来は、案外、手の届く量子演算機や量子ナノマシンの中に、もう「答え」として存在しているのかもしれない。


 これは、私が見た夢なのだろうか?それとも、最先端の量子演算機がカミーユの脳内微小管を通して量子もつれ状態を作り、私に語りかけてきた『宣言』だったのだろうか?

 私は震える手で、冷めたコーヒーを飲み干した。その一口が、いつもよりエントロピー(無駄)の多いものに感じられた。

 マヨラナチップ

 Google Quantum AI